プリンス・オットー Prince Otto(1883)
グルーネワルト国の王オットーは、政治を行なう気など全くなく、もっはら放浪の日々を送っている。彼の妻セラフィナは、宰相ゴンドレマルクの巧みな言葉に惑わされてオットーの追放を図ろうとする。しかし、オットーはいかなることがあろうとも妻を愛しつづける。セラフィナも最後には自分の誤りを知り、2人は新しい旅立ちをする。

百姓の生活は自然で単純だが、プリンスの生活は虚飾が多くて複雑です。百姓の生活では正しいことをするのは容易いが、プリンスの生活で誤ったことをすまい、とするのは非常に困難です。

愛の尺度は親切です。

君主として支持していきたいのは、堅実な、並みの理解力を持った、深いというよりはつらつした人物である。人心を巧みに掴むと同時に命令することのできる二重の技術を持った人格の高い人物、受容力があって、情けが深く、人心を収得できる人です。

よい決心というやつは、希望の七色の虹のようにじき消えてしまうのさ。

上から下まで、人間という人間は無益なのだ。誰も彼もが砂の綱となっている。あるいは子供のように窓ガラスに息を吹きかけては他愛もない文字を書いては消し、消しては書いているのさ。

我々は巨人と戦うためにこの地上にいるんじゃない。できれば華のように幸福になるためにこの地上に生きているんだ。

我々は塵と熱の身で、乾ききっているから炎熱焼くがごとき人生にたえゆくべくもない。そこで愛が、大きな岩の藻のように、憩いと慰めを与える役をする。

我々は、みんな惨めな罪人で、ほんの一瞬この地上におかれて、善を知りつつ悪を選び、裸の身を神の眼前で恥じているわけさ。

俺は見せかけの人間だ。

本当の善が、自分の側を通り過ぎるに任せて、ただ幻にすがって生きてきました。

愛されていようといまいと、あなたのそばにいるのが、私の義務であった。

我々が他人を許せないというときに実際に許せないのは我々自身なのだ。

神様のお恵みですわ。人間に忘れる力のあるということは。

私は長い夢を見た。その夢の中で、私は情の強い美しい娘を崇めた。あらゆる点で私よりすぐれているが、氷のように冷たい娘を崇めた。それからまた夢を見た。娘は変わった。溶けて熱して私を頼りにしてくる。(2009.3.17)

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